Sunday, November 25, 2007

No Smoking

禁煙です。というか、もう煙草を嗜む事は金輪際御座いません。

切欠は必要が無くなったのと飽きたからです。いや、正直に白状すると煙草の美味しさなんて結局これっぽっちもわかることはありませんでした。あ、でもMarlboroSeven StarsLucky Strikeの中では、やっぱりLucky Strikeが一番煙草を吸っている感覚が強くて好き=美味しかったとなるかもしれませんが。私が煙草を嗜んでいた理由は、単に厭世的なポーズが取りたかっただけ、かつそれに定期的に浸りたかっただけというなんとも幼稚なモノです。それなりにヘビースモーカーでしたし、かなりのチェーンスモーカーでしたが、もうサッパリ辞めます。というか辞めてます。丁度一週間経ちました。

理由は前々回のエントリーと関連して、私自身、少し自分に対して正直になってきたというか、ポーズをとっているのが疲れてきたというか、必要以上に周りを意識しているのが馬鹿らしくなってきたというか、そういう面で、私自身が社会的に適合しないのであれば、容赦なく排除してくれと、その方が私としても楽だからと、そう思うようになってきたからです。究極的には男性の身体を受け入れ生き続けなければならない事実ほど、私自身に厭世的な感情を込上げさせる事実はなく、そういう意味でチャチな煙草なんぞ次元が違うのです。だから辞めました。その事実に気付き、受け入れられたからこそ、もう吸う事は無いと断言できます。

で、ついでに何か色々自分改革をしてみたくて、コンタクトレンズにしてみました。以前挑戦したのですが、あまりにも異物感が強くて断念してしまっていました。でも一昨日、しっかり眼科医さんとコミュニケーションをとって納得出来るとこまで頑張ってみようと思ってリベンジした結果、ハードレンズですが、以前のとは全く別次元の装着感というか、とっても異物感が無くて良い感じです。今日も10時間近く付けていましたが、結構慣れてきました。というより、眼鏡を掛けていない自分の顔を、ハッキリ鏡で確認するのが数十年ぶりくらいなので、少しショックだったりしましたが、これも慣れるでしょう。コンタクトは第一弾で、も少し自分自身に投資しようと思います。主に外見メインで。

あと、音楽はベースは少しサボり気味。CDはほとんど買ってません。絵は、本当に私は塗りが下手だなぁと認識しています。デッサンは全然苦にならないんだけど、塗りだけは苦手ですね。ベースがサボり気味なのは、暇があれば塗り塗りしているからなのです。完成したらBlogに投稿してみます。そんな感じですかね。煙草やめたら身体の調子がいいですね。あと吸う時間が無いから、空いた時間も確実に増えてますね。そんな感じです。

追伸。

コンタクトを付けたままお絵描きするもんじゃないですね。集中して眼を開きっぱなしだったのか乾きまくって痛くなってしまいました。速攻目薬差したけど。こういうときは眼鏡の方が良いですな。

Saturday, November 10, 2007

Life is hard .

特に何か言われたわけではないのですが、念のため断っておくと、前回のエントリーは別に自分は不幸な人間なんだ!どうだまいったか!と宣言したいわけではなくって、単に実は、こんな特性を持った人間なのでした!テヘヘというぶっちゃけ話程度のモノなのでした。誤解しないで頂けると幸いです。ええ。自分は十分幸福だと思いますよ。

と、自己弁護的に始まるのには訳があって、ついこの間ネットで見た文章が、とても良く練られていて、単純に素敵な文章を書ける人なんだなぁ感動したなぁと思っていたのですが、どうも必要以上に感情移入してしまって、また悪いことに、こういう経験から遥かに離れた位置に居るというか、絶対にこういう経験が出来ない位置にいる人がネガティブな感情になってしまったというエントリーを見てしまったからなのです。

世の中には多種多様な人がいると思うので誤解されるのは本意ではないという事なのですが、自己弁護が嫌いな人もいるので、こう書いていることすら誤解を招く可能性もあり、結局は開き直るか謝り倒すかという選択肢ぐらいしかないのかという気もしますが、私には当Blogスペースを利用してWEBへ文章を公開する権利を、未だに社会的に制限されていないので、とりあえず暇なときに発露し続けていこうと思うのですよ。

で、さっそく発露させて頂きますが、実は、感動した文章の方は既に削除されているようです。個人的にWEBに公開しておいて削除なんて、なんていう浅はかな人なんだろうと思うのですが、ネガティブになってしまった側にも、気になる一言が該当エントリーではないエントリーでありました。曰く;

子持ちの既婚者と、独身者では「背負っているものが違う」 …などというのは幻想です。

とのこと。なるほど中身を読んでみると一理あるとは思いましたが、それはあくまで人間が作る社会的に、そういう見方もある程度のレベルで、生物の生物たる所以という意味では完全に間違いなのだけれどな、と思ったという御話です。

人間には、例えば、考え方や生活習慣や能力、体型、容姿、もっと拡大して生物としても、見た目や能力といったパラメータに対して、様々な種類の値を持っていて、その数限りないパターンの組み合わせで発生する個性や特徴というモノがあります。何故そういうモノをわざわざ生物は発生させるのかという事を考えてみれば、それは何より多様性を作り出すことで生物としてのカタストロフィのリスクが確実に軽減するから以外の何ものでもなく、私や貴方や、そこらへんの犬や蚊やダニがどう思おうが生物自身が生物たる為に一番望んでいる事だからに他ならないと思うのです。そしてその多様性を持たすために、生物は世代を経て存在し続けるという方法を環境に選択させたのだと思うのです。これは選択しろと環境に対して幾分暴力的にアプローチしているようにも見えます。いずれにせよ、このサイクルは生物が望んでいることであり、生物が生物である所以であり、つまるところ我々人間の一番成さなければならない事だと思っているのです。

自分自身のハードデータと別のハードデータを混ぜて、両方のソフトデータに対しては統合せずにわざわざ破棄した新たなハードデータを作ろうとしない、作れないのが悪だと言いたいわけではないのです。ただ、結局そうやって世代を経ていくことでしか生物は存在し続けることが出来ないのであり、幾多の環境の選択にも耐えきり、生き残り、その後でさらに奇跡的な確立で、新たな自分の分身を生み出すことが出来て、さらにまた環境の選択に立ち向かいながら、自分の分身を次へ繋げることが出来るように導いていけたなら、当然、生物としての貢献度は高いといえるし、途方も無いエネルギーを必要とするのは明らかでしょう。つまり背負ってるもの違うとなります。

前述した通り社会的に云々という意味では、独身者でも背負っているものはあると思います。だけど確実に中身は違います。物理的にも経済的にも社会貢献度的にも違います。生物の個体として望もうが望むまいがに関わらず、この人間社会そのものが、地球環境からも選択されなくなってしまいつつある人間に残された、今一番手っ取り早い選択ロジックなのだから当然選択されなかった個体に対しては、生物としての成すべき事が果たせない事もあるでしょう。それは本当に当然で、むしろ、そのハードデータで果たせなかったという統計情報が、生物的に大切だ、くらいの勢いかもしれないのです。でも結局社会なんてマイノリティかマジョリティかという点でしか処理の分岐が走らないクソみたいなロジックだと思いませんか。本当に下らない。私は大嫌いですけどね。と、いう人間がいるのも多様性による選択を環境に対して生物が投げかけているお陰であり、反社会的な人間は、社会的な人間に大いに敵意を向けてこの社会を崩していくことにこそ、生物的な価値が生まれるのだと思うのです。くどいようですが、その対立構造さえ、環境的な選択ロジックの一部だからです。

まあ、ここまで考える人間は、あまり居ないでしょうけど。生き物でも動物ではなくて植物になっていたかったなぁと、私が思う所以は、上記のような世界観を、だいぶ昔から持っている為だったりします。

Monday, October 29, 2007

Create

一年に数回ほど、こういう精神状態になります。

どうも思うに、自分の女性的な面が刺激されると絵が描きたくなるようですな。といきなりカミングアウトっぽいですが(そうでも無いけど、要するになんか言いたい気分らしいですな)、まあ別に私とずっと付き合っている人は御存知かと思いますが、まあ別に重度ではないですが、そのケが自分にはあるようです。いや同性が好きなわけではないです。ないのですが、どうやら自分の性に、違和感を、普通の人よりも少し多目に感じていて、普段はそれほど意識もしないし、異性に興味があるのですが、極稀に普段しまっている感覚が首を擡げて来る時期があると。そういう話なわけです。

別に切欠が無かったわけではなくて、小学生の時にたまたま友達とじゃれていたのですが、彼が若干ませてたせいか、なんとなくそんな雰囲気で押し倒された時に、今までポッカリ空いていた隙間が埋まりそうな期待が忽然と沸いてきたというか。その時に空いた空間の存在も同時に意識したというか。ガキの自分には、そんな感情に素直に身を任せるなんてことは出来ず(いやもちろん彼だって冗談だったと思うのですが)意外な期待感と恥ずかしさに耐えながら平静を装って、じゃれ返したのを今でも覚えております。

まあ別に、こんな気分を呼び起こしたかったわけではないのですが、偶々週末に観ていた物で、不意に刺激されて少し憂鬱な気分なわけです。職場の後輩には少し話しましたけど、これはでも本音でああ、まだまだこの身体と付き合っていかなければならないのだなぁと思うわけです。五体満足なのに、とんでもない不謹慎な人間なわけです。

こういったところに関しては大学時代によく自己分析をしたものです。大学時代はそれはもう頻繁にこういう精神状態に陥っていましたし。どうも色々な方の話を聞く分には、私自身は愛情に飢えている感じが若干強いようですな。一人っ子にカギっ子で共働きという環境にもあったかもしれません。優しさと愛情に満たされたいと、他の人より少し多目に思っているようです。今の性ままでも満たされる事とか方法が、いくらでもあるはずなんですが、それを由としない自分が強くて、素直になることが出来ないというか、不器用というか。もっとダイレクトに身体に触れて優しく愛撫して欲しいと、それに素直に身を任せたいという願望が心の奥にあるのかもしれません。で、それを受けるためには異性にならなければならないと思い込んでいる(というか、じゃないと自分自身の拒否反応の方が強くなって無理です。ああこの感覚がダメなのか?いや無理だろ。なんか気色悪いし完全に萎えます)のかもしれません。なるほど、案外そうかもしれないね。どのみち、この違和感は良い気分はしません。大学時代とかは、まだ、化粧とかすればある程度代謝できた(まあ他人から見れば気分の良いものではないでしょうけど。一応写真をとって見せたら男性には見えないレベルにはなっていたようです)のですが、年も年ですし、そんな自分が逆に哀れで、もっと凹むので、社会人になってからは全くやってません。ご心配なく。まあそんな身の上話的な事はどうでもいいのですが。

で、絵の話。ちょっとタブレットとか、スキャナとか購入してみようかなとか思っています。いや、とりあえずスキャナだけでも欲しいかもね。一度PCで色塗ったり加工してみたりしたかったので。なんかストーリーでも考えようかと思って、ネタ帳とか開いてみたりしたのですが、全く関係ないけど、自分で書いたテキストがありました。なんか覚書というかここにも残しておこうかと思います。結構いいこと書くじゃん自分と思ってしまったので。

自由って何?なんでも好きにさせてくれってことか?それは誰かに許可を取らなきゃダメなのか?手前自身で、やるべきか、やらないべきか、やったらその後どうなるか、何かをするためには何が必要か、自分で考えて行動出来る脳みそと身体があるじゃないか。それを使いこなして勝ち取る物が「自由」だろ。与えられる物じゃないだろ。誰かに与えて欲しくて、与えられる「自由」っぽい何かは、自由なんかじゃない。ただ単に何かが起こったときに自分を守ってくれる「盾」が欲しいだけだから、他人に対して「自由」を求めるんだ。自分のこの先やることに一切責任が持てないから。自分を変えて、成長して進んでいくことが億劫で、大儀で、面倒臭くて、おぼろげな未来にすがって、現実を嫌になるぐらい見つめることもしないから、そういう盾が必要なんだ。

単純に良い文章だなと思っただけで深い意味はないです。いや別れた時に勢いで書きなぐったものなので。まあ見てないと思うけど、別に蒸し返そうとかそういう意味ではないので念のため。というかこれは自戒の文章にもなるな。いや身にしみます。肝に銘じておこう。ってまた話がそれてしまった。と、そんな気分の時期なので非常に創作意欲が刺激されておるのです。週末暇だったら久々にペンでもとってみよう。スキャナとか購入して取り込んだりしてみようかね。

なんとなく徒然と書いてみました。ぶっちゃけると女性に生まれたかったという話です。

Monday, September 24, 2007

Pierce the veil

最近はKoЯnEvolutionばかり聴きまくっているのですが、いやKoЯn良いです。なんだかんだで良いのです。

秋葉原のタワレコが一番職場から近く、そこを利用することが多いのですが、どうもあそこのバイヤーのセンスが私と合わないらしくrecommendされている物がどうもピンと来ない。やっぱタワレコは新宿南口のトコが一番いいなぁとか感じていますが、そんななかでもグッと来たのがPierce the veila flair for the dramaticです。The Usedの1stバリのPOPさと混沌具合がとてもステキです。なによりお気に入りなのがi'd rather die than be famousです。なんか暴力的にコミカルかつ疾走感ただようニクイ感じの曲調で、夏季休暇で帰省する際に仙台からフェリーに乗ったのですが、常磐道→磐越道→東北道と延々と流していてもまったく飽きが来ない、むしろ逆にノリノリみたいなとても楽しいドライブだったのでした。

ついでに最近他に何か気になったのを上げてみると、やっぱ冒頭にも書きましたがKoЯnはやばいね。個人的にはIssues以来のハマり具合です。あとはLast WinterUnder the silver of machinesですね。2ndらしいです。キャッチーな感じでクセがないので万人ウケしそうな感じ。他にはDeas VailAll The Houses Look The Sameなんかをガラにも無く聴いてます。もともとエモいの好きだしね。秋の夜長にピアノなんてどうでしょうかみたいな。

って感じで一気に紹介してみました。

Sunday, August 19, 2007

Let's begin the bass !

ついに、半ば衝動的にベースに手を出してしまいました。

会社でバンドを組もうという話は半年ほど前から出ていて、面子も揃ってはいたのですが、ベースの方がパートナー会社の方で、作業場所が変わってしまい、連絡がとり辛く、若干なあなあになってきつつあったときに、なんとなく思いつきで「じゃあ俺がベースやればいいんじゃね?」という話に(いや正確には自分で勝手に結論付けただけなのですけど)なった感じです。

いや正直言うとベースには以前から興味があったのです。低音好きだし。ブリブリ格好いいし。大きいペグとかベース自体の形も好きだったのです。で、それこそ衝動的に今日買っちまおうと思って楽器店へ。事前に目を付けてたモデルをチェックしてたら、店員さんが声を掛けてきたので、そのまま商談へ。買ったのはIbanez SR 905 FMです(値段はそれなりに値切って貰いました)。いきなし5弦です。まったくの初心者なのに。だって大は小を兼ねるっていうじゃん。どうせ続けてたら欲しくなるので、こういうのは最初っからぶっとばして買ったほうが後々お得なのです。きっとそうなのです。なんでIbanezかというと、まずベースという話なら私の中ではKoЯnOne Minute Silenceと連想されて、FieldyがIbanezの5弦だったので、そういう流れです。Offspringも両方ともIbanezだしね。

ミーハーです。

そんなわけで、店に在庫が無かったので取り寄せという話になったので、手元に届くのは一週間後くらいになりそうです。教則本を眺めてわくわくしてます。

というか、アンプもなんも全く何もないのですけどね!後々買い揃えよっと。

Monday, August 6, 2007

SoftBank 913SH

約2年ぶりに携帯電話を機種変更してみました。

携帯電話はデザインでしか選ばないのですが、今回の913SHはデザインと機能が上手く両立出来ているイメージでかなり気に入っています。

SoftBank 913SH

機能面ではワンセグがお気に入り。初めはワンセグなんて付いていても見ないだろうなぁとか思っていたけど、これがまたなかなかいい感じです。通勤、特に帰宅中の電車で活躍しています。携帯本体に付けるイヤフォンプラグの蓋がゴム製でちぎれちゃいそうなので、Bluetoothのヘッドセットまで購入する始末。ミュージックプレイヤーもついているので活用したいのですが、miniSDカードを持っていないのと、自宅PCにスロットが無いので、そこらへんの環境も整えていこうかなぁという感じです。

ネットでも結構913SHは評判良いみたいですね。カメラの性能が悪いという話がありますけど、カメラなんて全く使わない人間としては全然問題ないです。ネットで話題といえば携帯のサクサク具合(動作の軽快さ等)をランク付けするスレッドが2chにあって、そこで久しぶりにSランクが付いたようです。まだ暫定らしいですが。V401Dから乗り換えた身としては、こんなもんかなぁ程度で気にならなかったのですが、最近の携帯はそんなに重いのかなぁとか思ったり。契約もホワイトプランに移行して、J-Phone時代からの契約を全て解除して、とてもスッキリした感じになっていますが、そもそも携帯をあまり使わない人間なので専らワンセグ端末と化しています。

Saturday, July 21, 2007

Parental advisory ?

最近よく聞く2.0という表現。まあ意味合い的にはメジャーバージョンアップなんだぜ程度なんだろうけども、なんでもかんでも2.0すぎる。

DoCoMoが最近さかんにDoCoMo 2.0を叫んでいる。私はDoCoMoユーザーではないのでどこがどう具体的に変わったのかわからないが、傍から見ている限り、メジャーバージョンアップと自信満々に宣言できるほどの変化は無いように見える。そんな事を思っていたら今度は夏 2.0らしい。いやいや、何勝手に季節のバージョンあげちゃってるわけ?って感じだ。なんとなく頭の悪い印象しか受けないのは私だけだろうか。そんなこんなで、このDoCoMo 2.0のCMは頻繁に流れているが、その中でも少し気になったCMがあった。

と、詳しく調べてみると、どうやら2.0のサービスでは無いらしいのだが、私が気になったのはアクセス制限サービスというサービスだ。別段珍しいサービスでも無いし、DoCoMoだけのユニークなサービスというわけでもないのだが、ここでふと果たして情報を遮断してしまうことは本当に良い事なのだろうか?と感じた。または情報を遮断した結果、遮断対象者に具体的にどのような好影響があるのか?でもよい。加えて有害な情報の、有害と判断するに至る具体的な条件と根拠が明確になっていないような気がしている。

日本に限らず社会という仕組みは、人間がより生物学的レベルで遭遇する様々な行動に関する情報を隠蔽する傾向が強い。例えば過度な暴力行為、露骨な性表現、内臓が露出する視覚的イメージ、特に肉食生物の捕食シーン等々。これらが有害である所以は果たして何なのだろうか。また有害であるとした場合、具体的に対象者の何に影響があるのだろうか。また悪いことに、これらの有害であると思われる情報は完全に隠蔽や遮断されている状況では無い。ここで私が例を挙げているのが何よりの証明である。本当に遮断等をされていれば、私はそれらの行為や行動が存在することすら認識できないはずなのだ。この中途半端に隠されている状況が一番悪いと考える。

生物の欲求というものは、所謂おあずけをくらえばくらうほど高まっていくものだ(私の経験則だけどそうだよね)。「ああこんな事が存在するんだ。興味が沸いてきたな。」と感じたが最後だと思っていて、さらに隠されていることの内容をチラッとでも認識した場合、大抵の人間はもっと内容を理解したいと思うはずであり、つまりそこで興味が沸かない人間なんて非常に稀であると思われる。

何がいいたいかというと、要するに下手におあずけするよりも逆に与えてしまった方が、良い場合もあるんじゃないのかねぇ?と思った御話。

Tuesday, July 17, 2007

about the Winny

公務員や大手会社での情報漏洩で騒がれているWinnyの利用に関して一言。

よく利用者側の反論で「利用云々は個人の自由である。」というのがある。要するに、Winnyを利用するなという命令や指示は受け付けないという意思表示だ。まして個人宅に設置してあるPC上での利用なら尚更ということらしい。未だにAnti-Virus Software等を導入していれば何の問題も無いと判断している人間も居るようで、いやはや無知とは恐ろしいものだなとも思う。

私が勤めている会社でも、ようやくWinny禁止令が出た。個人宅のPCでの利用も完全に禁止だ。遅すぎるくらいなのだが、まあやはりというか、当然の如く、会社資産での利用はまだしも、個人宅のPCで禁止というのは納得出来ないという意見が出た。対する社長の見解は「我々は計算機を扱うプロなのだから、その自覚を持って良識で判断せよ。」という感じのものだ。会社から社員個人宅での行動に関して強く言えないというのもあるだろうけれども、漏洩の多くの場合は個人宅PCからのような気がするが。

と、ここで個人的にずっと違和感を感じている部分がある(だからわざわざエントリーを書いているのだけれど)。本当に、今現状においてWinnyの利用は個人の自由で保障される範疇なのだろうか。そもそも個人の自由とは何ぞや。

日本国憲法第12条には以下の記述がある;

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

自由は公共の福祉の為に利用してねと書いてある。では次に公共の福祉とはなんぞや。

公共の福祉 - Wikipediaには以下のような記述があった;

公共の福祉(こうきょうのふくし)とは、人権相互の矛盾衝突を調整するために認められる衡平の原理のことをいう(一元的内在制約説・通説)。もっとも、日常の用語としては、「公共の」(public)=「個人のではない一般の」(not private)、「福祉」(welfare)=「幸福」(happiness)、すなわち「社会一般の利益」を指すものとして用いられることが多い。

ここでWinnyに話を戻そう(いや戻すには少々乱暴かもしれないが、まあ余り時間もないので)。現状確かにWinnyというアプリケーションの利用に関しては公共の福祉に反しないとは思うし、個人の自由だろうとも思う。だがそのアプリケーションが接続するWinnyネットワークとなると話は別なのではないかと思うのだ。Winnyはファイルの共有に中央サーバーを必要としないピュアP2P方式で動作し、それ故に一度Uploadした(またはUploadされた)ファイルを削除することが現実的には不可能と判断してよい。これはWinnyネットワークを管理することが非常に難しいという事を指していると感じる。その管理が難しいネットワーク上には何が存在するのかというと、多種多様に偽装されている、強力な個人情報暴露系ウィルスに感染した著作権的にNGなファイルや、それらで暴露された個人情報や、企業や国家の機密情報等がごっそり存在するわけだ。

以上の話は私が個人的に考える事で、これは法的にどうこうとか(そもそも公共の福祉というKeywordによって個人の自由を縛るのは非常にデリケートな問題らしいし)そういう話ではないのだが、どう頑張って、どう好意的に考えてみても、Winnyネットワークの存在は公共の福祉に反しているようにしか思えない。つまり、Winnyの利用は個人の自由云々の話ではないと思うのだ。そもそも管理が困難な仕様のネットワークなんて仕様的にバグなんじゃないのか。

なんて御話を聞かせれば、プロとして云々なんて、論理的でもなんでもない、なんだかよくわからない話を持ち出すよりもいくらか説得力的にマシだったんじゃないだろうかね?と思った御話。

Sunday, July 15, 2007

Dyslexia start

というわけで、以前のSiteへ更新停止の案内をしておきました。

でもせっかくValidな感じで以前のSiteを作り直していたのに、結局日の目を見ることがなかったので、それは残念ではありますな。もうフォーマットは完成していたのですが、丁度BlogがBlogがと騒がれ始めてきた時期と、仕事の忙しい時期が重なって、今一Site作成に気が乗らなかったのは事実です。

Bloggerのサービスを利用しているのは、私が単にGoogle贔屓なだけで、特に深い意味はないのですが、ソースを見るとかなりがっかりしてしまいます。しょうがないちゃあしょうがないのかなぁ。自分でサーバー建てて、バキバキにカスタマイズしてやるほどのことでもないかと思うし。これでも多少頑張ってValidな感じに近づけたつもりなんですが、自動的に埋め込まれたりする部分はいかんともしがたく。

で、この自動的にという部分がBlogサービスを利用する上での味噌だと思ってるので、ある程度のトレードオフはしかたないですよね。かなり痛々しい部分もあるのでどうにかして欲しいかなあとは思うのですが。