Saturday, July 21, 2007

Parental advisory ?

最近よく聞く2.0という表現。まあ意味合い的にはメジャーバージョンアップなんだぜ程度なんだろうけども、なんでもかんでも2.0すぎる。

DoCoMoが最近さかんにDoCoMo 2.0を叫んでいる。私はDoCoMoユーザーではないのでどこがどう具体的に変わったのかわからないが、傍から見ている限り、メジャーバージョンアップと自信満々に宣言できるほどの変化は無いように見える。そんな事を思っていたら今度は夏 2.0らしい。いやいや、何勝手に季節のバージョンあげちゃってるわけ?って感じだ。なんとなく頭の悪い印象しか受けないのは私だけだろうか。そんなこんなで、このDoCoMo 2.0のCMは頻繁に流れているが、その中でも少し気になったCMがあった。

と、詳しく調べてみると、どうやら2.0のサービスでは無いらしいのだが、私が気になったのはアクセス制限サービスというサービスだ。別段珍しいサービスでも無いし、DoCoMoだけのユニークなサービスというわけでもないのだが、ここでふと果たして情報を遮断してしまうことは本当に良い事なのだろうか?と感じた。または情報を遮断した結果、遮断対象者に具体的にどのような好影響があるのか?でもよい。加えて有害な情報の、有害と判断するに至る具体的な条件と根拠が明確になっていないような気がしている。

日本に限らず社会という仕組みは、人間がより生物学的レベルで遭遇する様々な行動に関する情報を隠蔽する傾向が強い。例えば過度な暴力行為、露骨な性表現、内臓が露出する視覚的イメージ、特に肉食生物の捕食シーン等々。これらが有害である所以は果たして何なのだろうか。また有害であるとした場合、具体的に対象者の何に影響があるのだろうか。また悪いことに、これらの有害であると思われる情報は完全に隠蔽や遮断されている状況では無い。ここで私が例を挙げているのが何よりの証明である。本当に遮断等をされていれば、私はそれらの行為や行動が存在することすら認識できないはずなのだ。この中途半端に隠されている状況が一番悪いと考える。

生物の欲求というものは、所謂おあずけをくらえばくらうほど高まっていくものだ(私の経験則だけどそうだよね)。「ああこんな事が存在するんだ。興味が沸いてきたな。」と感じたが最後だと思っていて、さらに隠されていることの内容をチラッとでも認識した場合、大抵の人間はもっと内容を理解したいと思うはずであり、つまりそこで興味が沸かない人間なんて非常に稀であると思われる。

何がいいたいかというと、要するに下手におあずけするよりも逆に与えてしまった方が、良い場合もあるんじゃないのかねぇ?と思った御話。

Tuesday, July 17, 2007

about the Winny

公務員や大手会社での情報漏洩で騒がれているWinnyの利用に関して一言。

よく利用者側の反論で「利用云々は個人の自由である。」というのがある。要するに、Winnyを利用するなという命令や指示は受け付けないという意思表示だ。まして個人宅に設置してあるPC上での利用なら尚更ということらしい。未だにAnti-Virus Software等を導入していれば何の問題も無いと判断している人間も居るようで、いやはや無知とは恐ろしいものだなとも思う。

私が勤めている会社でも、ようやくWinny禁止令が出た。個人宅のPCでの利用も完全に禁止だ。遅すぎるくらいなのだが、まあやはりというか、当然の如く、会社資産での利用はまだしも、個人宅のPCで禁止というのは納得出来ないという意見が出た。対する社長の見解は「我々は計算機を扱うプロなのだから、その自覚を持って良識で判断せよ。」という感じのものだ。会社から社員個人宅での行動に関して強く言えないというのもあるだろうけれども、漏洩の多くの場合は個人宅PCからのような気がするが。

と、ここで個人的にずっと違和感を感じている部分がある(だからわざわざエントリーを書いているのだけれど)。本当に、今現状においてWinnyの利用は個人の自由で保障される範疇なのだろうか。そもそも個人の自由とは何ぞや。

日本国憲法第12条には以下の記述がある;

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

自由は公共の福祉の為に利用してねと書いてある。では次に公共の福祉とはなんぞや。

公共の福祉 - Wikipediaには以下のような記述があった;

公共の福祉(こうきょうのふくし)とは、人権相互の矛盾衝突を調整するために認められる衡平の原理のことをいう(一元的内在制約説・通説)。もっとも、日常の用語としては、「公共の」(public)=「個人のではない一般の」(not private)、「福祉」(welfare)=「幸福」(happiness)、すなわち「社会一般の利益」を指すものとして用いられることが多い。

ここでWinnyに話を戻そう(いや戻すには少々乱暴かもしれないが、まあ余り時間もないので)。現状確かにWinnyというアプリケーションの利用に関しては公共の福祉に反しないとは思うし、個人の自由だろうとも思う。だがそのアプリケーションが接続するWinnyネットワークとなると話は別なのではないかと思うのだ。Winnyはファイルの共有に中央サーバーを必要としないピュアP2P方式で動作し、それ故に一度Uploadした(またはUploadされた)ファイルを削除することが現実的には不可能と判断してよい。これはWinnyネットワークを管理することが非常に難しいという事を指していると感じる。その管理が難しいネットワーク上には何が存在するのかというと、多種多様に偽装されている、強力な個人情報暴露系ウィルスに感染した著作権的にNGなファイルや、それらで暴露された個人情報や、企業や国家の機密情報等がごっそり存在するわけだ。

以上の話は私が個人的に考える事で、これは法的にどうこうとか(そもそも公共の福祉というKeywordによって個人の自由を縛るのは非常にデリケートな問題らしいし)そういう話ではないのだが、どう頑張って、どう好意的に考えてみても、Winnyネットワークの存在は公共の福祉に反しているようにしか思えない。つまり、Winnyの利用は個人の自由云々の話ではないと思うのだ。そもそも管理が困難な仕様のネットワークなんて仕様的にバグなんじゃないのか。

なんて御話を聞かせれば、プロとして云々なんて、論理的でもなんでもない、なんだかよくわからない話を持ち出すよりもいくらか説得力的にマシだったんじゃないだろうかね?と思った御話。

Sunday, July 15, 2007

Dyslexia start

というわけで、以前のSiteへ更新停止の案内をしておきました。

でもせっかくValidな感じで以前のSiteを作り直していたのに、結局日の目を見ることがなかったので、それは残念ではありますな。もうフォーマットは完成していたのですが、丁度BlogがBlogがと騒がれ始めてきた時期と、仕事の忙しい時期が重なって、今一Site作成に気が乗らなかったのは事実です。

Bloggerのサービスを利用しているのは、私が単にGoogle贔屓なだけで、特に深い意味はないのですが、ソースを見るとかなりがっかりしてしまいます。しょうがないちゃあしょうがないのかなぁ。自分でサーバー建てて、バキバキにカスタマイズしてやるほどのことでもないかと思うし。これでも多少頑張ってValidな感じに近づけたつもりなんですが、自動的に埋め込まれたりする部分はいかんともしがたく。

で、この自動的にという部分がBlogサービスを利用する上での味噌だと思ってるので、ある程度のトレードオフはしかたないですよね。かなり痛々しい部分もあるのでどうにかして欲しいかなあとは思うのですが。