Saturday, November 10, 2007

Life is hard .

特に何か言われたわけではないのですが、念のため断っておくと、前回のエントリーは別に自分は不幸な人間なんだ!どうだまいったか!と宣言したいわけではなくって、単に実は、こんな特性を持った人間なのでした!テヘヘというぶっちゃけ話程度のモノなのでした。誤解しないで頂けると幸いです。ええ。自分は十分幸福だと思いますよ。

と、自己弁護的に始まるのには訳があって、ついこの間ネットで見た文章が、とても良く練られていて、単純に素敵な文章を書ける人なんだなぁ感動したなぁと思っていたのですが、どうも必要以上に感情移入してしまって、また悪いことに、こういう経験から遥かに離れた位置に居るというか、絶対にこういう経験が出来ない位置にいる人がネガティブな感情になってしまったというエントリーを見てしまったからなのです。

世の中には多種多様な人がいると思うので誤解されるのは本意ではないという事なのですが、自己弁護が嫌いな人もいるので、こう書いていることすら誤解を招く可能性もあり、結局は開き直るか謝り倒すかという選択肢ぐらいしかないのかという気もしますが、私には当Blogスペースを利用してWEBへ文章を公開する権利を、未だに社会的に制限されていないので、とりあえず暇なときに発露し続けていこうと思うのですよ。

で、さっそく発露させて頂きますが、実は、感動した文章の方は既に削除されているようです。個人的にWEBに公開しておいて削除なんて、なんていう浅はかな人なんだろうと思うのですが、ネガティブになってしまった側にも、気になる一言が該当エントリーではないエントリーでありました。曰く;

子持ちの既婚者と、独身者では「背負っているものが違う」 …などというのは幻想です。

とのこと。なるほど中身を読んでみると一理あるとは思いましたが、それはあくまで人間が作る社会的に、そういう見方もある程度のレベルで、生物の生物たる所以という意味では完全に間違いなのだけれどな、と思ったという御話です。

人間には、例えば、考え方や生活習慣や能力、体型、容姿、もっと拡大して生物としても、見た目や能力といったパラメータに対して、様々な種類の値を持っていて、その数限りないパターンの組み合わせで発生する個性や特徴というモノがあります。何故そういうモノをわざわざ生物は発生させるのかという事を考えてみれば、それは何より多様性を作り出すことで生物としてのカタストロフィのリスクが確実に軽減するから以外の何ものでもなく、私や貴方や、そこらへんの犬や蚊やダニがどう思おうが生物自身が生物たる為に一番望んでいる事だからに他ならないと思うのです。そしてその多様性を持たすために、生物は世代を経て存在し続けるという方法を環境に選択させたのだと思うのです。これは選択しろと環境に対して幾分暴力的にアプローチしているようにも見えます。いずれにせよ、このサイクルは生物が望んでいることであり、生物が生物である所以であり、つまるところ我々人間の一番成さなければならない事だと思っているのです。

自分自身のハードデータと別のハードデータを混ぜて、両方のソフトデータに対しては統合せずにわざわざ破棄した新たなハードデータを作ろうとしない、作れないのが悪だと言いたいわけではないのです。ただ、結局そうやって世代を経ていくことでしか生物は存在し続けることが出来ないのであり、幾多の環境の選択にも耐えきり、生き残り、その後でさらに奇跡的な確立で、新たな自分の分身を生み出すことが出来て、さらにまた環境の選択に立ち向かいながら、自分の分身を次へ繋げることが出来るように導いていけたなら、当然、生物としての貢献度は高いといえるし、途方も無いエネルギーを必要とするのは明らかでしょう。つまり背負ってるもの違うとなります。

前述した通り社会的に云々という意味では、独身者でも背負っているものはあると思います。だけど確実に中身は違います。物理的にも経済的にも社会貢献度的にも違います。生物の個体として望もうが望むまいがに関わらず、この人間社会そのものが、地球環境からも選択されなくなってしまいつつある人間に残された、今一番手っ取り早い選択ロジックなのだから当然選択されなかった個体に対しては、生物としての成すべき事が果たせない事もあるでしょう。それは本当に当然で、むしろ、そのハードデータで果たせなかったという統計情報が、生物的に大切だ、くらいの勢いかもしれないのです。でも結局社会なんてマイノリティかマジョリティかという点でしか処理の分岐が走らないクソみたいなロジックだと思いませんか。本当に下らない。私は大嫌いですけどね。と、いう人間がいるのも多様性による選択を環境に対して生物が投げかけているお陰であり、反社会的な人間は、社会的な人間に大いに敵意を向けてこの社会を崩していくことにこそ、生物的な価値が生まれるのだと思うのです。くどいようですが、その対立構造さえ、環境的な選択ロジックの一部だからです。

まあ、ここまで考える人間は、あまり居ないでしょうけど。生き物でも動物ではなくて植物になっていたかったなぁと、私が思う所以は、上記のような世界観を、だいぶ昔から持っている為だったりします。

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